どこよりも高値に挑戦中!大手より20%高い製品多数大手より20%高い製品多数
定額買取

MINOLTA MD ROKKOR 50mmF1.4
Minolta SR/MC/MDマウント
1977/01/01発売
カメラ業界に限った話では無いのですが、性能面が高かったにも関わらず、メーカーや販売店の販売戦略などの影響で、後世での評価が高まった時には、入手が困難になってしまうようなケースはよく聞かれる話です。MDロッコールもそのようなレンズシリーズの一つで、当オールドレンズ解説のコーナーでは、ミノルタのMCロッコールシリーズに関し、マウントアダプターやカメラボディの選択肢といった部分からのアプローチを試みましたが、後継となるMDロッコールレンズにとって更に痛手となったのが、ミノルタというメーカーが世界初のレンズ交換式一眼レフカメラ「α7000」を開発、発売した影響も大きいように思えます。一見すると、オールドロッコールとは別マウントのミノルタαシリーズは何の関係も無いようにも見えますが、この辺りの事情はどのように関わってくるのでしょう。今回は少し、脱線気味の内容も含まれますが、ミノルタカメラの歴史を踏まえつつ、MD ROKKOR 50mmF1.4の解説を行いたいと思います。
\大手より20%高く買い取る製品多数!/

例えば...
Nikon D5600
52,500円(定額)で買い取ります
αシリーズの栄誉直前、ミノルタの高性能MF標準レンズの到達点





ミノルタカメラの創業
現在は、事務機器や医療用機器のメーカーであるコニカミノルタに名を残すのみとなっていますが、過去には旭光学(ペンタックス)、オリンパス光学、キヤノン、ニコンと並んで日本の五大カメラメーカーに数えられるほどの隆盛を誇ったのがミノルタカメラでした。
創業は1928年に田嶋一雄氏による日独写真機商店の開業を礎とし、数度の組織変更や改名(1931 モルタ合資会社、1937 千代田光学精工株式会社)を経て、1962年にミノルタカメラ株式会社が成立しています。一方、カメラに冠する「ミノルタ」のブランドはそれよりも古く、千代田光学精工時代の製品からミノルタブランドの使用が行われていました。
会社の沿革等については、当ページよりも詳しい経緯がWikipedia等に記載されていますが、Wikipediaの解説中に千代田光学精工株式会社への改称は『クラシックカメラ専科No.12、ミノルタカメラのすべて』を引用する形で「不思議なことに由来について何も伝わっていないが、当時の時局柄欧米的造語を避け国粋的な名称を選んだと考えられている」と記載されています。
この「国粋的な名称」というものが具体的にどのような意味合いで述べられているのかははっきりとしませんが、モルタ合資会社から千代田光学精工に改称された1937年には旧日本海軍にて「千代田」という艦船(水上機・潜航艇母艦から航空母艦へ)が進水しており、また千代田光学精工自体も戦時中には軍需物資を製造する国策企業として活動した歴史を持ちます。
また、「千代田」には千代田城として江戸城(皇居)の別名や、千代(1000年)に渡り栄える「田」という意味合いも含まれており、これらの事象を踏まえると、単に「国粋的な名称」を選んだのでは無く、企業発展の願いを込め、縁起由来の名称を選ぶ等の意味合いは多少なりとも含まれていたのでしょう。
α7000シリーズの発売とMDレンズ
創業期から半世紀以上経た1985年、ミノルタは画期的な一眼レフカメラとその交換レンズシステムを発売します。「α7000」と命名されたこのカメラは、それまでのAF一眼レフとは違い、AF合掌検知センサーやAF用レンズ駆動機構をボディ内に搭載し、AF機能を維持したままシステマチックにレンズ交換やアクセサリー交換が行えるカメラでした。
今となっては当たり前の機構ですが、α7000の登場前のAF一眼レフは、AFを実現するのに専用のレンズとそれに対応したボディのみの組み合わせが必須でした。
一方、レンズメーカーからはレンズにAFセンサーとレンズ駆動機構を内蔵した製品も登場していますが、当然、そのレンズ以外ではAFが働く訳では無く、これらの製品はシステムカメラとして実用性にやや乏しく、実験機的な色合いを残した技術アピールといった風合いが強かったのが実情でしょう。
そのような状況下で、初の実用型AF一眼レフカメラとして登場したα7000は、あっという間に市場を席巻し、カメラ店からは「αしか売れない」との声が出たほどでした。
この時に、ミノルタは従来のロッコールの系譜に連なるMDマウントからAF対応のAマウントに変更していますが、この辺りのマウント変更の事情については各社それぞれの事情が見え隠れしています。
特に、ミノルタの場合は社運を賭けたといっても過言ではないαシリーズの投入により、セールス的には大成功を収めましたが、それは同時にMDマウントの終焉をも意味しました。
それでも、しばらくの間はMF一眼レフX‐700と一部のNewMDレンズはαシリーズ投入後も併売されていましたが、この流れは、ミノルタのMF機が他社に比べて早い段階でラインアップの整理が断行されたと言い換える事が出来るでしょう。
また、この頃より大手量販店を中心に「下取り販売」といった手法での販売が強化され、ユーザーの手元からMF機が減じていく一つの要因となってきました。
この「下取り販売」が何故MF機の減少に繋がったのか、最大の理由は「下取りするカメラの価値に関係無く、一定価格での買取り(下取り)を行い、それを新規購入機の価格に反映させる」といった点です。

このような販売手法がMF機からAF機への買い替え需要の掘り起こしとなり、やがてはAF機時代への到来へ弾みがついたのは間違い無いのでしょうが、同時に中古市場に於いても充分に評価されるべき数々のMFレンズが正当な評価を受けることが無いまま、ユーザーの手から離れて行ってしまったとも言えるでしょう。
後年の私達「オールドレンズファン」からすると、どこか一抹の寂しさを感じてしまう…と言ってしまうのは、やや感傷的過ぎるでしょうか…。
思わぬ落とし穴 AF特許訴訟敗訴とその後
社運を賭けたといっても差し支えない程、ラインナップを一新したαシリーズの投入は大成功を収めたように見えましたが、後世から見て結果的にこのαシリーズの成功がその後のミノルタの命運を縮めたというのは、何やら皮肉のようにも感じてしまいます。
αシリーズでカメラ業界を席巻したミノルタでしたが、アメリカでAF技術に関する特許裁判で敗訴し、多額の賠償金の支払いとその後に発売する製品に高額のライセンス料が課せられる事となりました。
この辺りの裁判の経緯について、「巨額の賠償金目的で、眠っていた特許を掘り起こした」とか、「(当時の)政治問題だった貿易摩擦への対抗措置に利用された」などの感情的な声が多く聞かれましたが、後年になり改めてこの裁判の経緯を見るとミノルタ側が甘かったと感じるのは筆者だけでは無いと思います。また、この裁判の和解金としてミノルタ以外の各社も多額の賠償を強いられていますが、それでもミノルタ一社の賠償額は他社の倍以上に大きいものでした。
この問題が解決した後もミノルタはαシリーズに意欲的な新機種を投入し、AF一眼レフのトップメーカーとしての地位を確保しようと試みますが、この頃には競合他社にもAF一眼レフのラインナップが出揃っており、「αしか売れない」といった時代は過去のものとなっていきました。
一時は、限定商法と揶揄されるような、従来機種のデザインを変更しただけの製品を発売したり、ブームにもなった高級コンパクトカメラ路線にも挑むなど、迷走気味のような挙動を続けた後、コニカと合併を経て、αのブランドネームとともに写真光学事業をソニーに売却し、カメラメーカーとしてのミノルタはその歴史に幕を閉じました。
この頃と前後して、フィルムMF機の見直しの機運が高まり、コシナの手でフォクトレンダーブランドの復活などの動きが有り、「ミノルタも頑張っていればあるいは…」といった声も聞かれましたが、果たしてどうだったのでしょうか。
現実的には、αシリーズ中期の時点で発売を終えていたミノルタMF機シリーズですが、このような経緯の中でソニーによるMF機の開発は勿論、サポート等も望めない「クラシックカメラ」のようなポジションに収まってしまい、日本の景気後退も相まって、どちらにせよ厳しかった…というのが実情なのではと感じます。
MD ROKKOR 50mmF1.4
なにやら、ミノルタの歴史解説のようになってしまいましたが、改めて主題であるMD ROKKOR 50mmF1.4の解説に戻ります。
冒頭で、「αシリーズの栄誉直前、ミノルタの高性能MF標準レンズの到達点」としましたが、当レンズが発売されたのが1977年、そして前述のα7000の登場が1985年と少し時間が空いており、歴史的にはその間にミノルタは新型レンズとなるNew MDシリーズや、セールス的にも成功したX-700等の新型MFボディを投入しています。
では何故MD ROKKOR 50mmF1.4が「ミノルタの高性能MF標準レンズの到達点」なのでしょうか。この辺りは、やや筆者の主観が強く出ており異論も多いかと思われますが、
- ライツ(ライカ)との協業(1972年※製品の市場投入は翌1973年のライカCL以降)
- New MDシリーズが実質的にMDシリーズの改良である点
の二点をもって「到達点」と致しました。
①に関しては、最終的には袂を分かつ形となりましたが、一眼レフではライカR4辺りまで、レンジファインダー機でもCLやCLEでミノルタの技術や生産能力がライカを下支えをしたのは間違いなく、ライカ側の期待を十分に満たす協業だったと言えるでしょう。
②に関しては、MDシリーズ後に登場したNew MDシリーズとの差異として開放測光連動機能の追加がメインで、一部のレンズでは鏡筒などの構造が明らかにコストダウンを意識した造りとなっているという視点から導きました。※1
一概にコストダウンを悪しく評価する訳では無いのですが、ミノルタ社内ではXシリーズやNew MDを市場展開している頃にはαシリーズのプロジェクトがかなり進んでいたと考えられるので、余分なコストを排除しようとしたことは当然かも知れません。
更に、特に最初期のαシリーズ用のAマウントレンズでは、New MDの構造をそのまま引き継いだかのようなレンズも多く見られます。
ネガティブな表現になりましたが、言い換えればMDシリーズの持つレンズパワーがしっかりとしていた事で、後の新シリーズへの移行もスマートに行えたと考えられ、引いてはαシリーズの成功の影の立役者はMDシリーズとも言えるでしょう。
レンズ単体での評価としては、MCロッコール時代の緑のコーティングから進化したマルチコートが施され、MCシリーズよりクリアで鮮明な画像が得られるレンズとなりました。
オールドレンズ的な観点で考えると、クラシカルな写りを目指すのであればMCを、オールドレンズっぽさを残しつつも、常用レンズとしても充分なクオリティを求めるのであればMDが適任といった所でしょう。
※1 ミノルタの50mmF1.4 に関しては、NewMDへの移行時に再設計が行われており、NewMD50mmF1.4は6群7枚、フィルター径49mmの別レンズとなっています。
ユーザーレビュー
安定した写りを求めるオールドレンズユーザーから一定の高評価の声が聞かれます。
ただ、現代のレンズに比べるとやはりオールドレンズ的な写りとなりますので、この辺りは意識しておく必要が有りそうです。
中古市場
オークションなら、5,000円台からの出品も見られますが、良品となると10,000円を超える価格でも取引されている模様です。実店舗では15,000円前後の値付けも珍しく無く、F1.4とはいえ、オールド標準系レンズとしてはやや高価な部類に入るでしょう。
このような価格帯となると、果たしてその値段が適正なのかと悩ましいところではあるのですが、そのような価格帯でも取引が成立する銘レンズと考えれば、MD ROKKOR 50mmF1.4が市場で受けている評価の高さを示す一つの数値かも知れませんね。
作例紹介




まとめ
本文中でも述べましたが、MDシリーズの設計がしっかりとしていたからこそ後のXシリーズやαシリーズの成功が有ったのは間違いないでしょう。
カメラメーカーが全くの新シリーズを投入する際、以前のレンズ資産が市場の評価に耐えられないともなれば、カメラシステムだけでは無くレンズまで新たに設計する必要に迫られるのは必然かと思われます。
ミノルタの場合、MDシリーズが優秀だったからこそ、Xシリーズやαシステムの開発に注力が行え、両シリーズの市場での成功に繋がったのは無いでしょう。
特に、αシリーズはカメラ史にのみならず、日本の工業史にも確実に1ページを刻む銘機という事実を踏まえれば、MDシリーズの果たした役割は大きかったのは確実です。
特に、そのMDシリーズの中でも代表格として牽引役を十二分にこなしたMD ROKKOR 50mmF1.4というレンズは、私たちが考えている以上に評価されるべき銘レンズと言って差し支えない存在です。
年々、良質の個体が減っていくオールドレンズの中でも、押さえておくべき1本なのかも知れませんね。
\大手より20%高く買い取る製品多数!/

例えば...
Nikon D5600
52,500円(定額)で買い取ります
製品情報
カテゴリ | オールドレンズ |
---|---|
メーカー | MINOLTA |
タイプ | 標準 |
マウント | Minolta SR/MC/MDマウント |
関連製品
製品 | ![]() MINOLTA MD ROKKOR 50mmF1.4 (本製品) | ||
---|---|---|---|
価格 | |||
焦点距離 | 50mm | 50mm | 58mm |
F値 | F1.4〜16.0 | F1.7〜16.0 | F1.4〜16.0 |
最短撮影距離 | 45.0cm | 55.0cm | 60.0cm |
絞り羽根枚数 | 6枚 | 6枚 | 6枚 |
重量 | 220g | 229g | 276g |
発売日 | 1977/01/01 | 1966/01/01 | 1966/01/01 |
人気のストーリー





人気のオールドレンズ




